
先日、少しばかり時間をつくって京都へ行ってまいりました。
宿は鴨川のほとり。窓を開けると、川の流れる音がかすかに聞こえてきます。
朝、少し早く目が覚めたので、川沿いを歩きました。散歩をする人、ジョギングをする人、等間隔に腰をおろすカップル。何十年も前から変わらないであろうその光景に、なんとも言えない安心感を覚えます。
名古屋から新幹線でわずか三十数分。近いようでいて、駅を降りた瞬間に流れる時間の速さが変わる。京都とは、そういう街だと思います。
二条城 ―― 時代が動いた部屋に立つ
今回まず訪ねたのは二条城でした。
二の丸御殿の廊下を歩くと、足を運ぶたびに「キュッ、キュッ」と音が鳴ります。いわゆる鶯張り。侵入者を知らせるためとも、経年変化によるものとも言われますが、いずれにせよ、この音を四百年前の人々も聞いていたのかと思うと不思議な心地がします。
そして大広間。徳川慶喜が諸藩の重臣を集め、大政奉還の意思を伝えたとされる、あの部屋です。
案外こぢんまりとしている。歴史の教科書で見た「時代の転換点」も、実際にはこうした静かな一室で、人が人に向かって言葉を発することから始まったのだと。
職業柄でしょうか、私はこういう場所に立つと、つい考えてしまいます。大きな決断ほど、実は淡々と、日常の延長線上で下されるものなのかもしれない、と。
龍安寺 ―― 十五番目の石
続いて訪れたのが龍安寺の石庭です。
白砂に十五の石が配された、あまりにも有名な枯山水。縁側に腰をおろして、しばらくぼんやりと眺めておりました。
一説には、この庭はどの角度から眺めても石が十四個しか見えないように配置されている、と言われています。全部を一度に見ることはできない。人生もまた、そうなのかもしれません。
境内には「吾唯足知(われ、ただ足るを知る)」の文字が刻まれた蹲踞(つくばい)もあります。四つの文字が中央の口の字を共有する、あの意匠です。
足るを知る。
若い頃に聞いたときは、正直なところ、諦めの言葉のように響いていました。けれどもいまは、少し違って聞こえます。これは、いま自分が手にしているものの価値にちゃんと気づけているか、という問いなのだと。
見え方が変わっていく
このほかにも、路地の喫茶店に入ったり、川べりで一杯やったり、目的もなくぶらぶらと歩いたりしておりました。
京都には、これまで何度も足を運んでいます。それでも訪れるたびに、新しい発見がある。いや、正確に言えば、景色が変わったのではなく、こちらの見え方が変わったのでしょう。
二十代で見た石庭と、四十代で見る石庭は、同じ石を眺めていながら、まったく別のものを映しています。年齢を重ねるというのは、失っていくばかりではないのだと、そんなことを思いました。
日々の仕事では、ご相続やご家族の将来について、人生の節目に立ち会わせていただくことが少なくありません。皆さまが積み重ねてこられたものを、次の世代へどうつないでいくか。そのお手伝いをするのが私どもの役目です。
だからこそ、たまにはこうして自分自身も立ち止まり、来し方を眺める時間が必要なのだと感じています。
また近いうちに、京都を訪ねようと思います。
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司法書士法人白壁事務所(しらかべ)
代表社員 司法書士 市川 貴史